|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana) ・ 州 : [す, しゅう] (n) sandbank
メンフィス()は、アメリカ合衆国テネシー州の西端にある都市。州都ナッシュビルを上回る同州最大の都市で、ミシシッピ川に面している。市名はエジプトの古代都市にして都の一つでもあるメンフィスに因む。19世紀に綿花の集散地として発展する一方で奴隷市が開かれた歴史を持ち、今でも人口の約6割をアフリカ系アメリカ人が占める。ミシシッピ川から突き出たマッド・アイランドは母なるミシシッピ川とアメリカの歴史をモチーフとしたテーマパークになっている。 == 歴史 == メンフィス周辺に最初に定住した人類は、ミシシッピ文化に属する先住民族であり、近代に入るとチカソー族がそれに続いた。16世紀にはスペイン人の探検家エルナンド・デ・ソトが、17世紀にはフランス人のロベール=カブリエ・ド・ラ・サール率いる探検隊がメンフィス周辺を訪れた。19世紀初頭までは、メンフィス周辺は辺境領土だった。1796年には、アメリカ合衆国に加入したテネシー州の最西端となった。 1819年に、ジョン・オヴァートン、ジェイムズ・ウィンチェスターとアンドリュー・ジャクソンが、ミシシッピ川の支流ウルフ川の河口のすぐ南にある第四チカソー崖の上にメンフィス市を建設した。洪水の影響を受けない丘の上に位置していたため、メンフィスは通運の要衝として繁栄し、南北戦争以前には、メンフィスは綿花産業を支える奴隷を売買するための大市場となった。1857年には南北戦争以前に南部を東西に結んだ唯一の鉄道メンフィス・チャールストン鉄道が開通した。1862年6月6日のメンフィスの戦いで合衆国軍(北軍)がメンフィスを掌握し、メンフィスは終戦まで北軍の支配下に置かれた。戦時中のメンフィスは北軍の補給基地となり、南北戦争中も繁栄を続けた。 1870年代には黄熱病が度々流行した。最悪の流行をみた1878年には、メンフィスは多くの病死者や疎開者を出し、市の人口が4分の1近くに減少した。 20世紀に入ると、メンフィスは世界最大の綿花と木材の集散地となった。1950年には、世界最大のラバ市場ともなった。1910年代から1950年代まで、メンフィスはE・H・クランプ市長のもとマシーン政治の温床となっていた。クランプ政権下のメンフィスでは、全国的な都市美運動の一環として多様な公共政策が始動し、多くの公園群が作られた。1960年代には、メンフィスは公民権運動の渦中にあった。1968年4月4日には清掃労働者の待遇改善を求めるストライキの応援に訪れていたマーティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師がロレイン・モーテルで暗殺された。 今日でも綿花や木材の集散地であるとともに近辺の商工業の中心地である。また、航空貨物取扱の最大手であるフェデラル・エクスプレスの本社がある。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「メンフィス (テネシー州)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|